うつ病の好発年齢はいつなのか?(1)

抑うつの分布の数理モデルに興味を持つようになったのは、うつ病のかかりやすい年齢について調べたのがきっかけである。うつ病の好発年齢ついて調べた結果わかったのは、これまで非常に多くの疫学研究が行われてきたが、これまでの調査結果があまり一致していないということである*1

 

ちなみに一般向けの成書や精神科の教科書ではこういった詳しい説明はなく、むしろ「うつ病は中高年を中心としてあらゆる年代において認められる病気である」といった曖昧な説明が書かれていることが多い。

 

うつ病で通院している患者を対象に調査を行った場合、日本では男性では40代から50代、女性だと40代から70代の方が多い*2 。しかし、うつ病と年齢との関係を調べるには、受診した患者の調査だけではなく、一般人口を対象とした大規模調査を行う必要がある。なぜならうつ病は高血圧や糖尿病と同じように受診率が低い病気だからである。受診率の低い病気の場合、通院していない患者の方が多いので、通院患者だけを対象に調査を行っても不十分なのである。

 

仮にある年代のうつ病の通院患者が最も多かったとしても、その年代の患者が多いのか、あるいはその年代の受診率が高いのか、区別できないからである。したがって、病気に対する年齢の影響を明らかにするには、一般社会を対象にし調査を行う必要があるのである。

 

これまで日本を含め様々な国で、抑うつ評価尺度を使った大規模な疫学調査が行われている。しかし、それらの結果を見ると、結果が一致しないのである*3。 ある調査では20代から50代にかけて抑うつスコアが上昇し、50代から70代にかけて減少していた。しかしある調査では、逆に20代から60代にかけて抑うつスコアが減少し、その後高齢になるにつれ上昇している。また一方で、若年成人の抑うつスコアが最も高く、年齢に応じて右肩下がりに減少するという報告もある。さらに、高齢になるほど抑うつスコアが増えるという報告もある。


さらにややこしいことに、毎年同じ方法で行われている大規模調査でさえ、年度によって結果が異なるのである。例えば米国で毎年行われているNHIS(National Health Interview Survey)の結果を調べると、抑うつスコア(K6)がピークとなる年齢は、年度によって様々である*4。実際、ある年にはうつ病の有病率は30代でピークとなり、その翌年には60代がピークとなる。調査の行われた年によって結果が異なるのである。ちなみに高血圧やアルツハイマー病の疫学調査において、年度によって血圧の高い年齢やアルツハイマー多い年齢が異なることはあり得ない。調査の行われる年度に関係なく、高齢になるほど高血圧やアルツハイマー病が多いことは一貫している。

 

ではなぜうつ病に限ってこんな不思議な現象が起きるのかと不思議に思った。前述したように、この疑問が本研究を始めたきっかけである。

 

その後調査を進めるうちに、次の二つのことが明らかになった。

①これまで行われた大規模調査の結果では、抑うつスコアとの年齢との関係は一貫しておらず、若年者に多い、中高年に多い、高齢者に多い、と調査によって結論は様々だった。

②いずれの調査結果でも一つだけ共通していることがあり、それは年齢による影響はそれほど大きくないということである。

 

仮に、抑うつスコアは年齢による変化(統計学でいうところの効果量)が少ないと考えると、年齢と抑うつスコアの関係を調べた研究結果が一致しにくいことを理解しやすい。抑うつスコアに影響を与えるのは年齢だけではない。性別、家族状況、経済状態、健康度といった様々な要因も影響を与える。抑うつスコアに対する年齢の影響が弱ければ、他の要因(性別、経済状態、健康度、等)の影響で年齢の影響が目立たなくなり、結果として年齢の影響を検出しにくくなる。シグナル(信号)が小さくて、ノイズ(雑音)が大きければ、シグナルを検出しにくいのと同じ理屈である。つまり、「抑うつスコアに対する年齢の影響は弱いので、抑うつスコアと年齢の関係を調べた研究結果は一致しにくいのだろう」という結論になった。

 

しかし、この結論で一件落着とはならなかった。なぜなら病因論から考えると、「抑うつスコアに対する年齢の影響が弱い」という説明は、新たな疑問を生むからである。

前述したように、ほとんどの病気では、病気の好発年齢は確立している。その主な理由は、ほとんどの病気は、環境の影響を強く受けるからである。多くの病気は環境の影響を強く受けるので、結果的に年齢の影響を強く受けることになる。

年齢とは、環境の蓄積を意味する。もし年齢の影響を受けない病気が存在するとしたら、環境の影響を受けにくい病気ということになると思う。しかしこの説明は、これまで知られていたうつ病に関する知見と矛盾する。これまでの研究から、うつ病は環境(ストレス等)の影響の大きい病気であることは知られている。実際、うつ病に関する最も有名な学説は“ストレス仮説”である(ストレスは環境因に含まれる)。つまり、うつ病のストレス仮説と、抑うつスコアが年齢によってあまり変化しないという事実は、矛盾するのである。

しかし、調べた限りにおいて、この矛盾について論じている論文は見つからなかった(そもそも、抑うつスコアと年齢の関係が確立していないことを認識している精神科医や研究者は少ない)。しかし個人的には、なぜ抑うつスコアが年齢の影響をあまり受けないのか、不思議だった。そういったことがきっかけで、抑うつスコアの分布の年齢による変化について研究するようになった。

*1:Tomitaka S, et al. Stability of the Distribution of Patient Health Questionnaire-9 Scores Against Age in the General Population: Data From the National Health and Nutrition Examination Survey. Front. Psychiatry 2018  9:390.

*2:社会実情データ図録よりhttp://honkawa2.sakura.ne.jp/2150.html

*3:Tomitaka S, et al. Stability of the Distribution of Patient Health Questionnaire-9 Scores Against Age in the General Population: Data From the National Health and Nutrition Examination Survey. Front. Psychiatry 2018  9:390.

*4:Katherine M. et al. Age, Period, and Cohort Effects in Psychological Distress in the United States and Canada, American Journal of Epidemiology, 2014 179, 1216–1227